上総の国の片田舎に古民家という名の廃屋あり。改修再生完了しました
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廃屋古民家で当時の人を撮影
モデルが手配できたので、廃屋同様の古民家で、念願の人物ロケ撮影をしてみました♪
着用品は私の手持ちの昭和前期くらいのアンティークが中心。
きものは祖母の銘仙。小物は一部現代のもの。
わざと当時の人っぽく、帯板ナシのだらだら着付けです。
なんちゃって時代考証で、大正時代築?の建物と雰囲気を合わせてみました。

式台玄関で。こちらの写真とは羽織を変えたもの。
やはりこの場所ははまります。
古民家式台と人物

窓の外が思いっきり伐採途中…(汗) 
古民家で人物撮影
袖からのぞく長じゅばんの赤が効いているのがちょっとお気に入り。

ここはポーズや構図の工夫で面白い絵が作れます。木壁や土壁の素材感も面白い。
古民家で人物写真

古民家で当時の人
モデルはそれほど背が高くないのですが、きものがアンティークで小さいため、
おはしょり(帯の下部分にあたるきものの折り返し)がとれませんでした。
もう少しゆったりした着付けにしたかったんですが仕方ない。

組子障子はやっぱりきれい。ひょうたんもよくみえます。
古民家組子障子と人物
帯は地に銀箔を使ったもの。模様の源氏車がきれい。

「みーずーきーちゃん、あーそーぼー」(違)
古民家の窓と人物


うーん、もっと廃屋風になるかと思っていたけど、私が思っていたよりもふつうにきれい。
というかさすがにはまってます。

それでも以下はやや廃屋風に撮れたもの。
廃屋と人物

廃屋と人物
そもそも明るいと廃屋には見えないですね。
でも暗いと趣味の写真好き程度の私の腕では撮れません。

天井が低いので、立ちポーズだと人物の背が高く見えて、ガリバーな感じがわかる写真。
しかも横に靴が見えてるし(笑)
廃屋と人物



庭は竹刈ったり草刈ったりして、家の周囲にはだいぶ手が入りましたが、
室内は風を通して、多少床を掃いたのみ。
ほとんどそのままです。
それでも、ここまで手をいれると、もう廃屋ではないのかなぁと思いました。

こんなうちに1枚撮っておけばよかった。
源氏物語の夕顔か、それとも末摘花か(笑)
陋屋(ろうおく)の姫君みたいな写真を(どんな写真だ?)とも思っていたんですが(技術的にムリ)、
ほんとに廃屋状態だと家に入るだけでも大変だったりとなかなかね…
廃屋
…って、3年くらい放置すればすぐ元の廃屋に戻るに100万点(笑)

廃屋古民家は暗かったり明るかったりコントラストが強いし、その他いろいろ難しい。
誰か上手に撮れる人モトム(笑)

EOS kiss-DigitalN/SIGMA DC 18-50mm F2.8

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1金沢・重文・茶屋建築「志摩」前編
石川県金沢市への旅、古民家建物の個別レポート第2弾です。

ひがし茶屋街に行きました。朝一番乗りで貸切~♪
金沢ひがし茶屋街
文政3年(1820)に加賀藩が近辺に点在していたお茶屋を集めて町割りした「ひがし廓(くるわ)」。
格子戸と大戸、2階の造りが高い町並みは藩政時代の面影を残し、金沢で最も情緒ある町並み。
国の重要伝統的建造物群保存地域に選定。

お目当ては、国の重要文化財、茶屋建築「志摩(しま)」。
文政3年(1820)建築。
典型的なひがしのお茶屋の造りを江戸時代そのままに残す。
町ができたのと建築が同年。今でいう再開発の時にできたんですね。
志摩入口

入口を入ると2階への階段。
志摩階段

階段の上は高い吹き抜け。明かり取りや音を逃がす効果も。
志摩吹き抜け

階段の裏の囲炉裏。遊ぶ前にはここで待ったのだとか。上が吹き抜けなので煙も逃げます。
志摩いろり

女将を帳面をつけた帳場。芸妓名、時間などを書きつけ、お題は後で清算。
志摩帳場

室内には三味線や提灯など、当時そのまま?の品々が飾られて雰囲気たっぷり。
志摩三味線 志摩提灯

階段を上った2階が客間。壁が真っ赤! 
弁柄色の壁が特徴です。
お客が床の間を背にして座ると、その向かいにある部屋の
志摩座敷1

襖が開くと、ここちを舞台に芸妓が舞や音局を披露したそうです。
シンプルながらしゃれたしかけですね。
志摩座敷2

お客は上流町人(富裕商人)や文人たち。
厳しい身分制度の下、町人に許されたわずかな娯楽の場であったそうな。といっても、
ここで遊ぶには財力はもちろん、楽器・謡曲・和歌・茶の湯などなどの
高い知識や深い教養が求められ、粋人のための社交場だったそう。

江戸の吉原は確か武士も町人も利用するところであったと思ったけれど、
金沢は武士が多いと思うのに、説明によるとここは町人や文人専用だったらしい。
武士の社交場はどこだったのかな。
別の店か別の場所か、茶屋遊びをしなかったのか金がなかったのか…


一番豪華な客間。
弁柄色の壁と春慶塗の違い棚が調和し、天井も高い。
志摩広間1
床の間を背にした客が、向かいの部屋のふすま向こうを舞台に遊芸を楽しんだのは前と同じ。
志摩広間2
ふすまの引手、釘隠し、各所の造作など、許される限りの贅を尽くした造り(→後編)。
贅沢過ぎて、町奉行から差し止めをくった記憶が残っているとか(笑)

当時は鮮やかな色自体がとても贅沢だったでしょうが、それに加えて、
女性の長じゅばんなど、きものの下着類には赤を使っていたから、
赤という色は、今よりもずっと「色っぽい」イメージのある色であったと思います。
でも今日は朝の光の下なので、ちょっと爽やか?(笑)

客間に面する窓辺。
志摩窓辺
透かし彫りなど細部まで手が込んで繊細です。
志摩窓辺


京都の茶屋街もたびたび見ているけど中に入ったことがないので、
私にとっての「お茶屋」とは、宮尾登美子の小説「陽暉楼(ようきろう)」のイメージ。
「陽暉楼」は、土佐で大正~昭和初期に西日本一を誇った茶屋で、
今も料亭として実在する高知の「得月楼(とくげつろう)」がモデルです(建築は明治期)。
小説の中では、

弾き始めの行われる本店二階の大広間は繧繝縁(うんげんべり)を敷きつめて恰度百八十畳あり、
ちょっとした運動会でも出来るこの広さは関西一…
折角前に浦戸湾の景を控えながら、花道付きの本格的な舞台を南側に作りつけて…
抱えの二百幾十人の芸妓が…


180畳って、向こう側がかすんで見えそう(大げさ)。 
豪華な茶屋というとこういうイメージがあったので、
「志摩」は贅沢さの方向が違って新鮮。茶屋建築も地域地方で違いますね。
さすが坂本竜馬を生み出した土佐の地では、お茶屋も豪快? 
いつか行きたや得月楼。 あ、話がずれた(汗)

※追記 得月楼は明治初期の創業で、同業では後発組のため、斬新な作りや企画を設けて人気となりました。
だから土佐の茶屋建築の標準がコレだというわけではないと思うことを付け加えます。
ちなみにもともとの建物は空襲でほとんど焼けてしまい、現在の建物は戦後に立て直したもの。
それでもかなり立派なようですが。

しつこく後編に続く。

EOS kiss-DigitalN/SIGMA DC 18-50mm F2.8

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2金沢・重文・茶屋建築「志摩」後編
石川県金沢市の旅行で見た、古民家や建物の見学レポート第2弾「志摩」の後編です。
前編はこちら

こちらは離れ。真っ赤赤の部屋よりこじんまり。
しばしごろごろしましたが、私はこっちの方が落ち着きました。
文人が使うにはこっちの方が似合うような気もしたり。
志摩離れ1

こちらが芸妓の舞台になる向かいの部屋。
志摩離れ2

赤い客間の装飾。襖の引手は美しい七宝製です。うさぎは釘隠し。
志摩襖引手七宝1 志摩ふすま引き手七宝2 志摩釘隠しうさぎ

志摩灯り1 志摩灯り2
照明が内装の雰囲気と合っていてとても素敵。
茶屋として営業していた頃に作られたのでは思いますが、いつまで営業していたのかわかりません。

奥の階段。
志摩階段2
芸者さんやきもの姿の仲居さんが昇ってきそう♪


私がとっても興味深く見たのは、実はこの台所!
台所って改装されていることが多いですが、ここは創建当時のまま残っています。
志摩台所1
お茶屋はあくまで遊芸を楽しむ所で、料理は主に仕出し屋等から取り寄せられていたとか。
かまども1つ小さいものがあるだけ。

台所内には井戸があります。
志摩台所2

井戸の上につるしてあった錨(いかり)。何に使ったのか?
志摩台所錨 志摩石室
地下に降りる石段。地下には食糧などを貯蔵した石室(いしむろ)があり、内部には井戸もあるとか。

1階の「奥の間」。1階は家人の場所だったそうで、ここは女将の部屋。
この写真の右側には大きくて立派な仏壇がありました。
志摩座敷3

中庭。四季折々の草花を植えた典型的なお茶屋の庭。2階の客室からも眺められて風流。
志摩中庭 

庭との間を仕切るガラス戸。
家の外側の台に戸を置き、閉めるときは1枚ずつ溝に入れて送るしくみ。
シンプルでなかなか合理的。
志摩ガラス戸収納 志摩ガラス戸敷居
下の敷居は溝が1本、上の敷居は溝が2本で、戸はよく見かける引違い戸。
作られた時代に差があるでしょうか、両方の形が一ヵ所にあるのが面白い。

前に書いた「成巽閣(せいそんかく)」でも、雨戸がこの方式でした。
成巽閣は柱ナシの20mの縁側!があるのですが、
端にたくさんの雨戸がまとめられていました。
雨戸の枚数が多いと戸袋を作るのも大変だしね。

ガマのむしろ。貴重なものらしい雰囲気だったので撮ってみた。
志摩ガマむしろ



ひがし茶屋街の近くに宿をとったので、夜にうろうろしてみました。
12月初旬で観光客が少ないからなのか、地方は夜が早いのか、
茶屋街なのに夜は閑散とした雰囲気…

またよく見ると、観光客向けの飲食店や土産屋などが多く、
お茶屋として営業しているのは多くなさそう。不景気の折でもあり
お茶屋さん、芸妓さんの仕事はどうなのかと余計な心配に思いをはせたりして。
(金沢は芸妓さんのみ。京都のような華やかな舞妓ちゃんはいないシステム)

夜の街をさまよっていたら、街の奥の方で灯りの灯る1軒から、
三味線と太鼓の音が!
しかしもちろん外からは何をしているのかはわからず、
お店の写真だけ撮って宿に帰りました。

帰宅して写真を見てみたら、きものらしい人影が写ってた!やっぱりお座敷だったのかな!
現役お茶屋

現役お茶屋2
お店の入り口を逆側から。
大戸やくぐり戸、格子戸がわかります。風情があってきれいですね。

大戸:民家で土間正面の出入り口に用いられる、大きな板戸


EOS kiss-DigitalN/SIGMA DC 18-50mm F2.8

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庭の表の草刈りに着手
古民家の草刈りですが、家の周辺がいくらかスッキリしたので、
目につく表側に着手しました。あああここまで来たか♪

ススキがぼうぼうに生えた庭の入口付近。
ススキがぼうぼう すすきがぼうぼう

分かりにくいのですが、すすきを刈った後(かなり大きかった)。
草刈り後
写真にするとよくわかりませんね。実際にはものすごくスッキリしたんですけれど。

ススキに隠れていた池が姿を現した!
池だ!水辺だ! カキツバタ植えたい~♪
池

柿の木が現れた! 向こう側が見える!
草刈り後2

池の裏側から。草刈り前。
池前

草刈り後。こちらからも池が見えるようになったっ!
池後

周辺に生えていたアジサイを剪定。
アジサイは今の時期にバッサリやると花がなくなるのは分かっているのですが、
あまりにひょろひょろなので、確認用に少しだけ花芽を残して、バッサリ切りました。
IMG_6944アジサイ前 アジサイ後

ススキの影に鳥の巣の跡を発見。無精卵であろう卵が残ってました。
鳥の巣
周囲のツツジもスッキリ剪定。
草刈り屋から植木屋に昇格できてうれしい~♪

今回は写真が地味でわかりにくくてごめんなさいー

EOS kiss-DigitalN/SIGMA DC 18-50mm F2.8

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巨人の履くわらじを見に
梅が咲き始める一方で、真冬らしく朝晩の冷え込みも厳しい千葉房総の上総の国でございます。
朝は霜が真っ白で粉雪が降ったよう。
霜
都内じゃ霜柱は時々見ても、霜はあまり見かけません。
そもそも地面が少ないですしね。

でも、他の北国雪国で古民家に住む方々の耐寒日記を読むと、
房総では水道管の凍結対策をすることもあまりなく、やっぱり温暖なのかなぁと思います。



上総の国のあるところに毎年この時期になると現れる、大男を見に行きました(笑)

わらじ

でかっ!!
わらじの長さは1.5mくらい。足のサイズがそれだとすると、
本体は何メートル? 体重は?(笑)

杉の葉と酒樽が付いてます。
雨の後なので、わらじにも霜が降りています。

これは富津市関尻地区で行われる民俗行事。
「道切り」「綱つり」などというようですが、
これは「関尻の大わらじ」とよく呼ばれているみたい。

毎年2月になると、疫病神が村に入ってこないように、
「わらじを履いてお帰りください」、
または「こんな大きなわらじを履く大男がこの村にいるぞ」との意味をこめて、
大きなわらじを作って、地区境の3か所につるします。
2つは奥まった場所にあるらしく、今回見たのは道路沿いにある1つのみ。
道際の大わらじ
わらじができたばかりの頃は車で走っていてもすぐわかります。

わらじには杉の葉と酒樽が付いていて、
「疫病神は過ぎ(杉)ました」「悪病は済み(炭)ました」との願掛けだそうな。
酒樽は「このお酒を飲んでお帰りください」かな?(笑)
このままこの場所につるしておかれて、また来年2月になると新しいものをつけます。
風雨にさらされると傷んでくるので、年度末(笑)には原型を保ってないことも。

父が「前に見たときはもっと大きかったような…」
といったので、調べてみると、
わらじの大きさは、1m、1.5m、2m、2.7mと資料の(といってもネット上)によってバラバラ。
厳密に大きさが決まってないのかもしれませんね。

「かつては長さが50cmほどだったが、昭和20年代から大きいものを作るようになった」
という記述もあり。
巨大化した歴史はそれほど古くないんですね~。
こんなに大きいと運ぶのも大変だから、車で運べるようになって大きくなったのかも、
なんて風情のない推測をしたりして(汗)


下は「房総のむら」で、再現されていたもの。撮影2010年11月。
風雨にさらされてボロボロ。自然素材は古びても、自然に帰りますね。
IMG_3793房総村わらじ


EOS kiss-DigitalN/SIGMA DC 18-50mm F2.8

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■自己紹介

みずき

Author:みずき
推定大正期建築の千葉の古民家。放置すれば傷むばかり、とふと思ったことが大ごとに! 千葉と東京・神奈川を往復しつつ改修を目指す日々の記録。柴犬も一緒♪ 題名は「築大正」「先生が住んでいた」との話と、「宮澤賢治が出てきそうな家」と思ったことからの連想。景観と調和し、昔からずっとそこにあるような家を目指して、夢と妄想だけは大きく、千葉のイーハトーヴか、武相荘か!? 
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